もくじ
はじめに。
どうも、トラ道運営の一人、クリエイティブ担当・音楽系ニートのまっつです。
この記事ではトランペットから少し離れて、自分が少し前に下した人生の決断にまつわるお話をしようと思います。
結構長めなので、お茶でもしばきながらゆるりと読んでいただければ。
(ちなみに、かっこつけるために慣れない断定口調になってますが、見逃してやってください……)
ある男の決断。
2020年4月。
自分は、ちょうど2年間勤めていた会社を辞めた。
辞めた理由は、仕事が嫌だったからとか人間関係がうまく行かなかったからとかではない。
端的に言えば「ほかにやりたいことが出来た」から。
そして、それにこれからの人生をかけてみたくなったから。
今回は、音楽に救われ、音楽にのめり込み、音楽の中で生きていこうと思った、ちっぽけな一人の男の話をしよう。
自分の進むべき道の正解が見いだせない人は、ぜひこの記事を読んでみてほしい。
もしかしたら、なにかの決断の参考になるかもしれない。
音楽は友達だった。それ以上でも以下でもなかった。
5歳から15歳までピアノを習っていた。
毎週金曜日、地元のピアノ教室に通った。
正直練習はめんどくさいし、曲を間違えると先生には怒られるし、レッスンは好きではなかった。
それでもいい曲に出会い、それを自分で弾けるようになったときの喜びはひとしおだった。
高校では部活に入ったのでピアノの教室はやめてしまった。
それでも、なにかモヤモヤしたときや心が苦しいときは家にあるピアノを弾いた。
そのうち、ポップスの曲を覚え弾き語りなんかもするようになった(当時はスキマスイッチやコブクロが全盛だった)。
家族以外誰も知らない、自分ひとりの密かな楽しみだった。
大学に入ってからも、しばらくはそんな感じだった。
なにかにつまづいたとき、苦しくなったとき、救いのように好きな曲を聴く。ピアノを弾く。歌う。
それで十分だと思っていた。これからも、そんなふうに「趣味」として、仕事や他のことをしながら音楽と接していくんだろうな、と。
それ以上でも以下でもない存在として。
そして世界は開かれた。
だけど、大学3年生のとき世界が変わった。
同じ専攻の友人から、セッションに誘われた。
そいつはドラムをやっていた。
時間を合わせてスタジオに入り、ピアノとドラムでセッションをした。
腹の底を揺らすようなドラムの轟音。
衝撃だった。
自分はそれについていこうと必死にピアノを弾いた。
正直最初は緊張で全くうまく行かなかったけど、それでも二人の息が合うときは思わず笑みがこぼれるような気持ちよさを覚えた。
それが、自分とバンド音楽との出会いだった。
その一回のセッションを皮切りに、むさぼるように今まで全く聴いてこなかったロックやジャズの曲を聴き始めた。
the pillows、andymori、くるり、サカナクション、東京事変、日食なつこ、toe、fox capture plan、go go penguin、上原ひろみ……。
みんなそのセッションのあとに知った素晴らしいアーティストたちだ。
今まで自分がどれだけ狭い世界にいたのか、思い知ったようだった。
思えばあの瞬間、自分はもう後戻りできない世界に足を踏み入れたのだと思う。
でもそのときはまだ、何年後かに自分が会社を辞めるまでの決断をすることになるとは思ってもいなかった。
それからは、のめり込むように新しい音楽に没頭していった。
友人とは何度もスタジオに入った。
その度に新しい発見や学びがあった。
ドラムとピアノの縦のリズムがあったとき、フリーセッションで思わぬ名曲が生まれたとき。
そのひとつひとつが、例えようも無い快感だった。
今までひとりでじっくり味わっていたものを、自分以外のだれかと即興で作り上げていくヒリヒリするような時間は、疲れるけど楽しかった。
こうして確実に、音楽を「作る側」としての楽しみを見出していった。
ライブで、「ガチ」になる。
そんなふうに成長を続けていれば、「自分たちの音楽を披露したい」と思うのは当然の成り行きだった。
ツイッターで都内のライブハウスに声をかけて、出演できるところを探した。
そして、池袋の小さいライブハウスで初ライブが決まったのだった。
ライブ当日まで、カバー曲(たしかピアノジャックの『台風』と日食なつこの『傘はいらんかね』だったと思う)と、数曲のオリジナル曲を必死になって練習した。
人見知りな性格にムチを打って、なるべく多くの人をライブに誘った。曲の合間にはさむMCも、できる限り考えてみた。
……そうして迎えたライブ当日のパフォーマンスは、正直ダメダメだった。
緊張で手が震えてまともに弾けないし、ドラムとピアノの縦のリズムは合わないし、MCはグダグダだし、正直下手くそだった。
頑張って呼んだお客さんも、ほんの数人しか来てくれなかった。
でも。
来てくれた人は「良かった。感動した。」と言ってくれた。
「また誘ってね。」と。
お世辞でもなんでもよかった。胸が熱くなった。
また頑張ろう。もっといい曲作って、練習して、来てくれた人の心を動かせるようになろう。
そう思った。
ライブの魅力に虜になった瞬間だ。
それはそれとして。
こうして、音楽活動が自分の生活の一つの軸になった。
暇な時間があれば新しい音楽を聴き、自分でも作曲をした。
でも、そこまできてもまだ、「音楽を仕事にしよう」とは思っていなかった。
昨日今日バンドを始めたような素人に、プロになれる実力なんかないと思っていた。
普通に就職をして、仕事をしながら曲を作ったり休日にライブをしたりできればいいと思っていた。
実際そうやって音楽と付き合っている人は周りにけっこういたし、それが賢い生き方で当然自分もその道を選ぶと思っていた。
そして実際、その道を選んだ。
就職活動自体もいろいろ紆余曲折あったのだけれど、まあなんとか都内のIT系企業に入ることが出来た。
その会社は面白くて、働く人みんな優しいしよく考える頭のいい人達だった。
もちろん仕事が大変なときはあったけど、ハッキリ言って恵まれた環境だなと思っていた。
ここで地道に働きながらキャリアを築いていって、音楽は趣味として続けていこう。
しばらくはそう思いながら生活していた。
でも、2020年4月に、自分は会社を辞めることになる。
入社当時の自分からしたら、「なにやってんの?」と思うだろう。
でも、これは自分が自分なりに導き出した「幸せになるための答え」だ。
……さあ、前置きが長くなったけど、この記事の本当に伝えたいことをこれから語ろうと思う。
コップの水があふれる瞬間。
音楽は趣味としてやり続ける。
そう思ってはいたのだけれど、曲がりなりにも音楽活動を1年2年と続けているうちに、「もっと全力を注ぎたい」という思いがふつふつと湧き出てきた。
相変わらずライブに来てくれるお客さんは知り合いばかりだった。
自分らのバンド「Lupe」はドラムとピアノのツーピースバンドで、インスト曲メインという珍しい形式のバンドである。曲調も暗いものが多くて、とっつきづらい。
ほかのバンドと比べても浮いてしまうし、なかなか日の目を見ない毎日だった。
それでも、時々同じライブに出ていたバンドのメンバーが「いい演奏でしたよ」と声をかけてくれたり、ライブハウスの店長が褒めてくれたりした。
それだけで十分、次も頑張ろうと思えた。
そういう毎日の中で、たぶんコップの中に少しずつ水が溜まっていくように、自分の中の音楽に対する思いも増えていったのだと思う。
そして、去年の年末年始の休暇のあいだ考え抜いて、自分は決意した。
コップの水はあふれた。
「仕事をやめよう」と。
決意の裏側。
その決断にいたった理由はいくつかある。
まずなによりも、音楽に対する自分の思いを大事にしたかったということ。
ちゃんと向き合って、できるところまで音楽と対峙してみたい。
その思いを押し殺して、趣味として「ちょうどいい大きさ」に丸めて過ごしていく、ということをしたくなかったのも大きい。
やるなら、とことんやってみたい。
そう思えるものが出来た自分自身の思いを大事にしたかったというのが、わがままなこの決断の大部分をしめている。
よく、一時の熱や思いで重大な決断をしてはいけないという主張を見るけれど、ではその決断は、いつ・なにによって下されるのだろう?
「その道に進んでも絶対大丈夫!100%安心!」という保証をいつ・誰がしてくれるのだろう?
重大な決断はいつだって、熱にうなされるようにするものだと思う。
少なくとも自分はそうだった。
だからこそ、誰のせいにもできない。
この決断を自分のものにするために、吐いた言葉を嘘にしないために、精一杯努力しなければという覚悟ができた。
その思いは今でも変わらない。
年齢の問題もあった。
まだ20代とはいえ、着実に体力も衰えてきているし、なにより音楽にいちばん大切な「感性」が瑞々しいうちに挑戦してみたいという気持ちがあった
また、音楽活動は(活動スタイルにもよるけれど)体力が必要不可欠である。
夜通し曲を作ったり、重い機材を運んだり、長時間ライブをやり通したり、なにより曲を生み出す負荷に耐えるには純粋な体力が必要だ。
若さがあるうちにスタートを切って軌道にのせなければ長続きしないだろうと思った。
時間があることに言い訳をして決断を遅らすようなことは嫌だった。
昔からなにかにつけてそうやって楽をしようとしてきた自分自身に対する抵抗もあったかもしれない。
とにかく、「やるなら今しかない」と強く思えたのは事実だ。
会社の人には、仕事を続けながらでも出来ないものかと問われたけれど、やっぱり自分は全身を投じてみたかった。
でないと、また自分に言い訳をして決断を遅らせてしまう気がしたから。
傍から見たらバカな決断と思えるかもしれないけれど、自分にとってはとても自然な選択だった。
本当に伝えたいこと。
ほかにも、語ろうと思えばいろんな理由がある。
だけど、ひとつひとつの具体例を紹介したいわけじゃない。
この記事の本当に伝えたいこと。それは、
「自分自身の声を聞こう。」
ということ。
誰がなんと言おうと、自分が大切だと思っていることを大切にすること。
その大切なものとの「関わり方」を考えること。
そして、その答えが今の道の延長線上にないなら、違う道に思い切って飛び込んでみること。
自分の場合はそれが音楽であり、会社を辞めるということだったけれど、
別に対象はなんだっていいし、判断の大きさもなんだっていい。
一番くだらないのは、その声を押し込め続けて、自分の可能性を狭めてしまうことだ。
失った時間は戻ってこない。月並みだけれど、「あそこでああしておけばよかった……。」という後悔と、「あそこでああしてしまったけれど、結局今ここにいる。」という後悔なら自分は後者のほうが全然いいと思う。
その失敗だって、自分自身の声に正直になれた結果なのだから。
チャレンジはリスクではない。
でも、無鉄砲に違う道に飛び出してみた結果、やっぱり続かずに失敗したとしたらどうするの?そんな思いも出てくるだろう。
……それなら、それで構わない。
ていうか、そんな言葉で思いとどまるくらいなら、人は違う道には飛び込まない。
本当にそれが大切なら、まず飛び込む前に念入りに計画を立てる。
そして飛び込んだあとも、何があろうと生き抜こうとするだろう。
たとえ当初の計画どおりには行かなくても、チャレンジしきって、晴れ晴れとした顔でまた違う道に進むだろう。
それだって、幸福な人生の一つの形だと思う。
自分が働いていた会社には、バンドマンになるために上京したけどその道は諦め、今はシステムエンジニアとして働いている人がいた。
その人は、楽しそうに仕事をし、娘さんの成長を嬉しそうに話すいいお父さんだった。
だれがその人のことを、「あなたはバンドマンの道を諦めるしかなかったから不幸だ。あなたの選択は間違っていた。」なんて言えるだろう?
成功か失敗かは、結果論に過ぎない。
失敗にしないために、最善を尽くせばいいのだ。
だから、この記事の本当に伝えたいこと2つ目は、
「チャレンジ自体はリスクでもなんでもない。」
ということ。
自分自身がチャレンジに対してひたむきであれば、そのチャレンジ自体が成功したって失敗したって幸福な道に続いていると思う。
チャレンジがリスクに変わってしまうときというのは、結局自分自身がチャレンジを恐れているとき。
もっと簡単に言えば、「ほかに守りたいもの」があるとき。
「ほかに守りたいもの」があるとき、それを脅かすものはリスクになる。
でも、「ほかに守りたいもの」があるならそれを大切にし続ければいい話。
安定の職について、趣味をしながら穏やかに生きていく。
お金を沢山稼いで、贅沢に生きていく。
それはそれで別の生き方として幸せだ。
だから、やっぱり大切なのは「自分の声を聴くこと」だ。
あなたが大切なものはなんだろう?
お金?(でもお金はなにかを手に入れるための手段に過ぎないことをよく考えてほしい)
没頭できる趣味?(それはあくまで「趣味」としてだろうか、それとも、もっともっと深いものだろうか)
恋人?(うん、信頼できるパートナーがいる人は無条件に幸福だ)
家族?(家族を支えようと頑張る人は無条件に素敵だ)
なんにもない人は「なんにもない」でいい。
別に無理やり探せとはいわない。
自分の思想を持ち、自由に生きることが自分たち人間の権利だ。
でも確実に言えるのは、好きなものがあるっていうのは素晴らしいことだ。
もしかしたら、明日には好きなものが好きじゃなくなっているかもしれない。
そうしたら、別の好きなことを探せばいい。
人は変化していくものだし、だからこそ成長する。
自分だけではない自分。
何の話だったか。
そうそう、そういう思いで会社を辞めたという話だった。
最終出社の日、会社の人は快く送り出してくれた。
「ライブ呼んでね!」と言ってくれた。
いい会社に入れたな、と思った。
この人達の頑張りに負けないように、自分も努力しなければと純粋に思えた。
思えば、出会いによって自分の人生は大きく変わってきた。
大学生の時、友人にセッションに誘われていなかったら、自分はここまで音楽にのめり込まなかっただろう(その友人は今やっているバンドのドラマーだ)。
入る会社が違かったら、自分の決意をいつまでも閉じ込めていたかもしれない。
自分の声を直接聞くのは自分だが、そこに至るまでの道のりは得てして自分以外の誰かが作ってくれる。
だから、自分も誰かに価値を与えられる人間になりたい。そうも思った。
そのためにも。
まずは自分自身の思いをどうにかしなければ。
チャレンジしきらなければ。
最後に。
あれからもう3ヶ月以上立つ。
自分がやめたのとちょうど同じタイミングで、世間はある一つのウイルスによってかき乱され始め、そのあおりは音楽業界にも大打撃を与えている。
自分たちが力を注ごうと思っていたライブシーンももはや壊滅的な状況だ。
正直、これから先どんな道が待っているのかわからない。
でもどんな状況でもその時の最善を探し出して、出来得る限りの努力をして道を切り開けばいい。
そんな覚悟が出来ている。
音楽はどんなときでも必要とされていると、自分自身が身に沁みてわかっているから。
トラ道に参加したのも、音楽を楽しみたいけど楽しめない人のためになにかできることを探したかったからだ。
自分たちの音楽も誰かに必要とされるなら、それ以上嬉しいことはない。
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Lupeに興味がある人は、ぜひこちらから曲を聴いてみてほしい。これからもどんどん新曲を出していく予定です。
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