メンバーの思い

はらいちの、トラ道の運営者になるまでのストーリー。

はらいち(澤野)です。

このページを見に来てくださってありがとうございます。

トラ道は、トランペットを生涯の趣味に。を理念として、

  • トランペットをもっと楽しく正しく上達してほしい、という思いでいろんな角度から役立つ情報を発信したり、
  • プロがもっと憧れる職業になってほしい、という思いでプロ向けのマーケティングや自力で稼ぐためのノウハウを発信したり、
  • アマとプロの垣根をぶっ壊したい、という思いから、もっと気軽にお互いが交流しアドバイスをもらえる環境作りをしたり、

、、、という取り組みをしています(現状はまだ構想段階ですが、いずれ皆さんの力を借りつつ実現させる予定です)。

この理念は、僕以外の運営者であるけんちゃん、マッツとも一致しています。

しかし、この理念に行き着くまでの背景は、1人1人全く違います。

そもそも、僕とマッツはトランペット経験がありません。

なのに、別にけんちゃんに迎合してやってるわけじゃなく、真剣に、理念に向けて取り組んでいます。
(それは、ゆくゆくはトランペットから拡張して音楽業界全体に伝播すればいいな、という上位の理念にもつながります)

ここにたどり着くまで、本当に色々ありました…。

けんちゃん、マッツのトラ道までの道のりは別の記事になっていますので、そちらも併せて見てみてくださいね。

簡単に、僕はらいちの経歴をざっと紹介しましょう。

  • 1994年生まれ、神奈川県出身。吹奏楽でいう地区は湘南地区。
  • 中2の時に、チューバ担当として出たはじめてのコンクールで、東関東大会出場(銀賞)
    その時に吹いた自由曲『ラ・ボエーム』は本当に大好きな曲だし、課題曲の『ブライアンの休日』もチューバ譜全部歌えます。
  • 高校でも吹奏楽部でチューバを続け、高1のアンサンブルコンテストで吹いた『高貴なる葡萄酒を讃えて』は、悔しさも含め一生の思い出に。
  • 高校卒業後、母親の実家がある沖縄で1年間宅浪したのち、東京工業大学に入学。
    番号があった瞬間、昨日のように覚えてるなぁ…
  • 東工大の管弦楽部でチューバを続けようと思ってたが、チューバは隔年募集のちょうどハズレ年で、仕方なくビッグバンドサークルLos Guaracheros(ロス・ガラチェロス)に入部。
    チューバに一番近いという安直な理由でバストロンボーンをはじめる(本当にこうなってよかった)。
  • 名字が澤部に似ているからという理由で、あだ名がはらいちに(本当にこのあだ名好き)。
  • 学生ビッグバンド界隈ではおなじみビッグバンドの全国大会通称「ヤマノ(YBBJC)」に東工大Los Guaracherosのバストロンボーンとして出場、大学2年だった2015年大会は全国2位を受賞する。
    この年は、本当に先輩方がすごすぎた…。
  • 2016年大会に向けたバンド発足時、全く自信はなかったけど、バンドの音楽作りを仕切るコンマスに就任。
    ウチのけんちゃんも2ndラッパとして乗ってもらい、全35バンドの大トリとして出演、全国3位を受賞。この瞬間は、本当に心震えたなぁ…。
  • 大学4年の時、将来が不安になり、ネットビジネスで起業
    卒業後も就職せず、マーケティングなどを学びつつビジネスに取り組んだものの、半年ほどで頓挫。
    その後、やりたいこともわからず、1年以上ニートみたいな自堕落な生活をする。
  • ふとけんちゃんと2人で行った福岡旅行に不思議な縁を感じ、いてもたってもいられず1人で福岡に移住
    不動産の人に理由説明するの大変だった。
    移住した途端コロナ

その後、けんちゃんとマッツとの伝説のzoom飲みから、トラ道の構想がどんどん具現化していくのです。

箇条書き1個1個も、それごとに1つの記事にできるくらいいろいろ語れることはあるんですが、、、

ここでは、トラ道に対するはらいちの思い、にフォーカスして綴ってみたいと思います。

とにかく、やりたいことが見つからなかった。

大学時代は、本当にビッグバンドに明け暮れて没頭しきっていました。

単位もバンバン落として、学科長に呼び出されたこともあります。

東工大は理系の大学なので、4年生になると研究室に所属します。

これがかーなり忙しくて、だからなのか、大体のサークルは大学3年終わりで引退、という風潮があります。

その研究室がつまらないこと、つまらないこと。

まあ、成績が悪いせいで、余り物の研究室しかなかったため自業自得なんですけど。

もう毎日、シンナーみたいな臭いの実験室で、白衣着て、フラスコ振る、みたいな生活。

あんまり好きな分野ではなく自主性もなかったので、教授の言われるがまま、言われた実験をやり続ける日々。

で、研究室の先輩に聞くと、

「ウチの学科は研究職につく人が多いから、仕事もこんな感じだろうね〜。」

「で仕事だからあれよ、結局、上から降ってくるテーマに仕事として取り組むわけだから、本当にここと環境変わらないかもね〜。」とのこと。

ああ、ここは地獄なのか。とその時思いました。

1つ上の先輩は本当に研究にやりがいを感じていたようで、楽しそうに教授に結果を報告していたのですが、

それと対比して、

「あ、ここにいるべきじゃないわ自分」

と、本能的に思ったのを覚えています。

どうにかその地獄に繋がったレールから降りたい。

どうにか、色のない絶望の未来に彩りが欲しい…..。

その一心で、研究室に行きながら、ほーーーんとにいろんなことに手を出しました。

簡単にいうと、就職せずに自分の力で稼げるようになるため、自分でビジネスをやろうと思ったんです。

ネットビジネスと名がつく、自分1人でPC1台でできるものは、本当に一通りやりました。

リサイクルショップや本屋、メルカリなどで仕入れてネットショップで売る転売。

他社商品をブログ記事などで宣伝し、対価を得るアフィリエイト。

FXや株も一時期勉強してたこともあったし、

マルチ商法じみたネットワークビジネスにも手を出したりしてました。

アフィリエイトに至っては今まで1万、3万、10万の情報商材も買ったりしましたし、すごい人に会うために懇親会の参加費5万払ったりもしたし、転売は転売塾みたいなのに60万突っ込んだこともあったりと、

累計でゆうに200万以上は投資しているはずです。

そして、今となってはすごい決断をしたなと思いますが、

大学4年の10月くらいに、いろいろなビジネスで月の利益100万円を達成した勢いで、院進も就職も辞める決断をしました。

それだけ当時、先の真っ暗な将来に絶望してたんだなぁ、、。

そうしてフリーになった僕は、

自力で稼げた経験をもとに、稼げるための情報を発信するブログやメルマガを運営していたり、

年商数億の社長の仕事を手伝うかたわら、六本木に通ってマーケティングのプロになるべく直々に教わっていた時期もあったり、

東工大の経歴を生かし、勉強系YouTuberとして数百本の動画を作った時期もあれば、

起業意欲のある大学生に、稼ぎ方を教えて金をもらってた時期もあったり、

お酒好きが高じて、バーテンダーを目指してカクテルを一心不乱に作ったり、

麻雀やポーカーなどのギャンブルで生計を立てようか?とも思ったり、、、

マジで、何やってんのお前?????と言われてもおかしくないほど、

自分がやりたいこと・没頭できることを探し続ける生活を、大学卒業してから2年以上続けました。

一時期は収益が尽き、バイトしないと生きてけなかった時期もありました。

夏暑い中スーツで8時間くらい外で立ちっぱの仕事とか、夜中ずっとコロッケをあげる仕事、弁当のご飯に延々とゆかりを振りかける仕事、ラグビーの大会の警備員、、

東工大出てんのに、自分何やってんだろ、と自暴自棄になった時もありました。結構キツかったなぁ。。

正直な話、借金とかもバンバンしてました。(本当に最近の最近、払い終わったものもありますし、親に借りた金はまだ返せないでいます。本当に申し訳ない)

と、ここまでしても、やっぱり、没頭できると確信できるものは、自分の中で見つかりませんでした。

転機。福岡移住。即コロナ。

そんな中、冒頭の箇条書きの一番最後に書いた、福岡移住がここに当たります。

ふと、けんちゃんが有給を取ったらしいと聞いて、前々から行きたかった福岡に旅行に行きました。

確か、2泊3日で博多ラーメンを11杯食べるとかいう、端的にいってヤバイ旅。

その時の、福岡という場所の空気がすごい気に入ったんですよ。

こればっかりは言葉じゃ伝えられないですが、、

ラーメン屋の店員さんや、もつ焼き屋さんの店員さんのフレンドリーさ、

歩行者に道を譲ってくれるドライバーさんの仕草、表情。

コンビニでの店員さんとの何気ない会話。

旅先でそんな密な関わりを持った人こそいなかったのに、東京との違いというか、人の温かみを感じたんです。

いいとこだったなー。またこよう、となってた時に、けんちゃんが、

住んじゃえば??住めるっしょ。はらいちなら。

とか言い出します。

のちに話を聞くと、けんちゃん曰く、将来福岡に拠点持って、色々やりたいことがある、と。

不動産経営しながら、塾とか経営したくね?地元の人と密に関わる仕事とかもしたいなー、食べ物もうまいし、かわいい子も多いだろうし。

仕事終わりの死んだような目でおなじみのけんちゃんからは想像もつかない、キラキラした目で夢を語るじゃないですか。

上に書いたように、死ぬほどいろんなことやっても何にも実にならず、ちょうど八方塞がりだった状況の僕。

何か、変わるきっかけないかな、、、と、何かにすがるような思いを、まさに当時抱いていたのです。

そこに、こんな話。

きっかけ。

チャンス。

決めたら早いのだけが僕の売りです。

決めた翌日には、ひとっ飛びして福岡で物件探しをしてました。

これが2020年2月末の話。

誰も知り合いもいなければ、頼る人もいない。

そんな環境なら、否が応でも、いろんな人と出会ったりしてなんか変わるだろ。

という思いから、あれよあれよという間に物件も決まり、晴れて福岡移住が決定しました。

んー、福岡行ったら何しようかな。

お酒が好きだから、バーとか行ってマスターと色々語ったりしたいな。カクテルとかも教えてもらおうかな。

博多美人ともいうし、なんか出会いとかあるといいな。

イベントとか参加していろんな人とも話して、福岡の美味しいラーメンとかもつ鍋とかたーーくさん教えてもらって、関東の友人に案内したりもしたいな。

夢が広がるなぁ。。

3月末、晴れて福岡県民になって間も無くの4月7日。

福岡含む主要都市で、コロナの緊急事態宣言発令。

不要不急の外出自粛。

ほぼニートみたいな僕、大体の外出が不要不急。

なんやねん!!!!!!!!!!!!!!なんもできんやんけ!!!!!!!!!!!!!

手鼻を挫かれてしょげていた僕に、、、

3人の運命の邂逅。伝説のZoom飲み。

ある日、けんちゃんの発案で、けんちゃんと、マッツとのZoom飲みが開催されることになります。

これこそが、トラ道が生まれるきっかけでした。

アイデアは酒の席から生まれるとはよく言ったものですが、それを肌で感じた夜になるとは…。

この頃にはもうけんちゃんも社会人3年目。

マッツも3月から会社を辞め、バンド活動に専念して数ヶ月、という時期でした。

けんちゃんの仕事の愚痴から始まり、お酒も進み、3人の唯一の共通点である音楽の話になります。

けんちゃんを始め、3人から出てくる、音楽への熱すぎる情熱。

え!!そんなサービスあったら最高やん!!逆になんでないんだろうな。

実はな、トランペット.comってドメイン誰も使ってなかったから、この前取っちゃったんよ。

プロの方と組んで、こんなことやったらめっちゃ面白いし貢献度も高くない???

そんな話をしていて、気付いたらあっという間に4時間くらい時間が経過したんです。

そうして、ワサワサと出た思いをまとめて、具現化したのが、このトラ道というサイトなのです。

僕は、大学を卒業してから2年間、音楽を仕事にしようとだけは思わなかったんですよね。

その理由は、「時間を忘れて没頭できる何か」を探しつつも、結局、お金になるかどうかとか、将来性があるかとか、そういう打算的なことばかり考えてたからだろうな。。。と今振り返ると思います。

でも、そんな打算なことを考えずとも、トラ道は、始動の時と同じ熱量で続けられているように思います。

書いている時点で、トラ道が始動してから3ヶ月経っています。

たった3ヶ月?と思うかもしれませんが、僕の中では、信じられないほどの快挙です。

毎週、3人でのZoom会議も欠かさないですし、3人でのチャットも毎日めちゃくちゃ活発です。

始動してから、収益はまだ1円もでていないのに、です。

ああ、こういうことだと、没頭できる仕事ってのはこういうものだと、

この記事を書きながらも、そう腹落ちしています。

現時点でそんな熱量なので、

もし、この思いに賛同してくれる学生の方、プロの方、楽器を趣味されている方がどんどん増えたとしたら。

いろんな可能性がどんどん具現化されていって、夢が1つ1つ叶えられたとしたら。

もう僕らの熱量は大変なことになってしまいそうです。笑

その未来を目指して、日々、できることを1つ1つやっていきたいと思います。

全然うまくいかないことも多いんですけどね。

全力でやっていきますよ。

少しでも、トラ道について、読む前と印象が変わってくれていたら幸いです。

ではまた別の記事で!

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